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薄っぺらな謝罪

 福岡の中学生がいじめを苦に自殺した事件です。今日のニュースで、ようやく校長の合谷智が両親に謝罪したようです。聞けば、当時少年の担任だった馬鹿が、母親から相談を受けた際にその内容を同級生にばらしてしまったとか。それが原因でいじめに結びついたようです。これがTVニュースで観た内容です。ところがです、「教諭によるいじめと受け取られても仕方がない。これが自殺につながったと認識しており、申し訳ない」なんて謝ってた合谷は、未明の記者会見で「教諭の言動がいじめの誘因になったが、自殺と結びつけるのは危険。冷静さを欠いていた」とぬかしやがったのです。事実上、少年がいじめを苦にして自殺したことを否定しているわけです。てなけで、僕はこう解釈しています。合谷の両親への謝罪は、冷静さに欠いた上での行為だったと。
 
 いじめって、当然教師に隠れて行うものです。だから、学校側がいじめの事実に気が付かないというのは仕方がないと思うのです。いじめた側が隠そうと思えば隠し通せるものなのです。ですから、いじめの事実を確認できなかったら、「気が付かなくて申し訳ない」という態度を学校側にはとって欲しいなぁ、これまで起こったいじめに起因する事件の時、いつも思っていました。結局、こうした問題が起こるといじめを受けた側が傷を負うだけです。学校側はおのれの体面を守るのに躍起になり、いじめた側は何の痛みも受けずにいるだけです。
 
 さて、福岡の事件、元担任は両親に謝罪した後で「一生をかけて償っていきたい」と話していましたが、顔は出さず実名もださず。これはTV局の報道規定にも関わって来る問題でしょうから、そう簡単にはいかないことでしょう。しかし、本気で償う覚悟があるのなら、自ら進んで顔と名前は出すべきです。それが謝罪の第一歩でしょう。